コラム

無名の戦士

 30代の人と話す機会があってとても楽しい時間を過ごすことができた。 家に妙にリアリティの高いペンギンの姿をした照明器具があるのだが、「これはフルハムロードで買ったものだ」と説明したが、当然わからなかった。 そこで、「ロス疑惑」とよばれた三浦和義さんのお店だと解説してみたが、これまた通じなかった。 そう、あれだけ連日テレビで騒がれた三浦さんも今のある年代より下の人には無名な人になったと実感させられた。 当時は大人から子供まで知らない人がいない事件であったが、それも20年ほど経つとこれほどまでに風化するのかと、改めて気付かされた。 

 そう考えると、今有名な経営者やインフルエンサーだって、おそらく20年後には知らない人が多く出てくることになると予想される。 「ホリエモン」って誰?、「孫正義」って?、20年では無理でも50年なら十分忘れられている可能性は高い。 ましてや100年経ったところで覚えている人は稀だろう。 少しでも成功して歴史に名前を残そうと思っている人もいるかもしれない、しかしこうやって考えると、それも50年くらいの話だ。 2075年には今生きている人のほとんどは忘れられた存在となるだろう。 総理大臣だって、半分以上の人は知らないと答えるだろう。 

 生きている内に何か爪痕を残すという行為はそれほど虚しいものとも言える。 ある程度の規模の社長になるとなれば、日経新聞にも載るし、会社の規模によってはNHKで報道されるかもしれない。 でも、100年後はその会社の社史でも漁らない限りその名を見ることはなくなるだろう。 もっと言えば、200年、300年とたてば、会社はもとより、日本国だってどうなっているかはわからない。 そうやって、有名になろうと、歴史に名を残そうとした者が無名の戦士となって忘れ去られていくのだ。 

 2025年を迎えようしているが、来年は何を成し遂げようか、何をしようか、考えてみるが、それが何かを残すなんてことは考えないようしたい。それよりも、自分の気持ちに素直になることを目指したい。 何がしたいのだろう、どんなことにワクワクするのだろう。 その気持ちを可能な限り優先させて、生き延びてみたい。 今生きている人は2225年には、みんな無名の戦士となるのだから。